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「SCの家で本当に良かった。」
今でこそ口にしなくなりましたが、震災後は家族の誰もが口にした言葉でした。
近い将来、必ず発生すると言われてた宮城県沖地震から、家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家でしたが、こんなにも早く、しかもこれほどの大震災に直面するとは、予想だにしませんでした。
想像を絶する甚大な被害をもたらした大震災。内陸部の我が家でも、余震も含め震度6強の地震に2度も見舞われましたが、地盤改良も実施し、長期優良住宅の認定(耐震等級2)を取得したかいあって、幸いにも写真立てやコップが棚から落ちたくらいの被害ですみました。
しかしながら、電気や水道・ガスなどのライフラインは完全に止まり、復旧まで1週間を要しました。
当初、寒さに対し、多少の不安もあったのですが、そこは何といってもSCの家!
2~3日は問題ないと思いつつも、それ以上となるとやはり寒くなるのではという事で、急遽、物置に非常用に、しまっておいた石油ストーブをスタンバイさせたのですが、結果的に一度も使用する事はありませんでした。
3月とはいえ、外は雪が舞い散り、まだまだ寒い日が続いていましたが、蓄暖の余熱効果もあり3日間は、室内が20度を下回る事はありませんでした。その後も、家族が多いせいもあってか?室内は18度前後をキープし、衣服を調整すれば十分な暖かさで、最終的にリビングの室温が一番低かったのが6日目早朝の15.6℃でした。(その日の朝の最低気温は-1℃)
24時間換気も停電で動かなかったこともあり、窓を開け、空気の入れ替えを日に何回か行いましたが、建物自体の輻射熱によって、室温は変わらず、まったく問題のないレベルでした。
その間、多くの親戚や知人が訪れましたが、クロスの割れひとつない頑丈さと無暖房にもかかわらず十分な暖かさを保つSCの家に、来る人、来る人が驚いていました。
今回の震災では、水や食料・ガソリンの確保に奔走したり、わずかなお湯で体を拭いた毎日、笑うに笑えないトイレでの失敗など、何かと不安やストレスを抱えながら、度重なる余震の恐怖の中、いてつく寒さを感じる事なく、わずかなローソクの灯りのもと、家族が寄り添い、協力しあい、明るく暮らせた事が我が家にとって何よりの幸せでした。
「住み心地のいい家」は災害時において、生活の大きな支えとなり、頼りになるのはもちろん、こうした時に誰もが見失いがちな思いやりや優しさを見失わず、明るく、元気で前向きにいられるという事。そして、家族の愛や絆を深める意味においても非常に重要だという事を、今改めて痛感しています。