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能登半島の地震で思うこと

1月1日に石川県能登半島を中心に、震度7という強い地震が発生しました。

当初、被害は限定的との見方もありましたが、日を追うことに被害の深刻さが浮き彫りとなり、多くの家屋が倒壊し、死傷者も200名を超え、未だに行方不明の方も多くいらっしゃいます。

お亡くなりになられた方には心より御冥福をお祈りすると共に、被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。

また水道や電気のライフラインも寸断され、強い余震に断続的に見舞われ、建物の倒壊や損傷が相次ぎ、土砂崩れなども含めた2次災害も発生しているようです。

一刻も早い復旧にくわえ、これ以上被害が広がらないことを、ただただ祈るばかりです。

改めて、地震防災の意識に対する啓蒙に努め、既存住宅の耐震化と新築住宅の更なる耐震性の強化を図らなければならないと痛感した次第です。

地震直後で、紹介する内容ではないかとも思いますが、家づくりに携わる人間として、是非皆様の頭の片隅に入れておいていただきたいと思いますので、あえてお話します。

震度5程度の地震に倒壊しない程度の旧耐震基準ですが、昭和56年に改正され、平成8年には、極めて稀に発生する、震度6強から7クラスの大きな地震でも、倒壊しない耐震強度と地盤調査及び地盤強度に応じた地盤改良や基礎耐力が、義務化されております。

しかしながら、現状の基準では、本震1回では、倒壊しないという耐震性で、その後の余震や将来また起きる大地震については、想定されていないのが現状です。

しかも、倒壊しないというだけで、屋根や外壁、窓ガラスや内装などの損傷は、実質考えられておりません。

加えて、想定しているのは新築時の強度であり、その後の経年による劣化や内部結露やシロアリ被害においても、考慮されていないのが現状であり、義務化されている耐震等級1ではなく、最低でも等級2、可能ならば等級3での計画が必須となります。

震災直後ですので、これ以上の説明は控えさせていただきますが、地震が起きるたびにつくづく感じるのですが、

災害時においても、家族の命と暮らしをしっかり守る家こそが、本当にいい家といえるのではないでしょうか。

「いつまでも強く・いつまでも快適に」

我々、住宅業界に生きる人間達は、家族と住まいの健康をいつまでも守る、本物の長寿命の家づくりを何より大事に考えなければならないのです。

下記の記事は、私たちが3.11の震災後に、全国の工務店さん向けに発信しているソーラーサーキットの家のメルマガ用に、私が投稿した「災害時の備えは快適な住まいから」と題した記事を再掲したものですが、これからの家づくりの参考にしていただければ幸いでございます。

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「SCの家で本当に良かった。」

今でこそ口にしなくなりましたが、震災後は家族の誰もが口にした言葉でした。

近い将来、必ず発生すると言われてた宮城県沖地震から、家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家でしたが、こんなにも早く、しかもこれほどの大震災に直面するとは、予想だにしませんでした。

想像を絶する甚大な被害をもたらした大震災。内陸部の我が家でも、余震も含め震度6強の地震に2度も見舞われましたが、地盤改良も実施し、長期優良住宅の認定(耐震等級2)を取得したかいあって、幸いにも写真立てやコップが棚から落ちたくらいの被害ですみました。

しかしながら、電気や水道・ガスなどのライフラインは完全に止まり、復旧まで1週間を要しました。

当初、寒さに対し、多少の不安もあったのですが、そこは何といってもSCの家!

2~3日は問題ないと思いつつも、それ以上となるとやはり寒くなるのではという事で、急遽、物置に非常用に、しまっておいた石油ストーブをスタンバイさせたのですが、結果的に一度も使用する事はありませんでした。

3月とはいえ、外は雪が舞い散り、まだまだ寒い日が続いていましたが、蓄暖の余熱効果もあり3日間は、室内が20度を下回る事はありませんでした。その後も、家族が多いせいもあってか?室内は18度前後をキープし、衣服を調整すれば十分な暖かさで、最終的にリビングの室温が一番低かったのが6日目早朝の15.6℃でした。(その日の朝の最低気温は-1℃)

24時間換気も停電で動かなかったこともあり、窓を開け、空気の入れ替えを日に何回か行いましたが、建物自体の輻射熱によって、室温は変わらず、まったく問題のないレベルでした。

その間、多くの親戚や知人が訪れましたが、クロスの割れひとつない頑丈さと無暖房にもかかわらず十分な暖かさを保つSCの家に、来る人、来る人が驚いていました。

今回の震災では、水や食料・ガソリンの確保に奔走したり、わずかなお湯で体を拭いた毎日、笑うに笑えないトイレでの失敗など、何かと不安やストレスを抱えながら、度重なる余震の恐怖の中、いてつく寒さを感じる事なく、わずかなローソクの灯りのもと、家族が寄り添い、協力しあい、明るく暮らせた事が我が家にとって何よりの幸せでした。

「住み心地のいい家」は災害時において、生活の大きな支えとなり、頼りになるのはもちろん、こうした時に誰もが見失いがちな思いやりや優しさを見失わず、明るく、元気で前向きにいられるという事。そして、家族の愛や絆を深める意味においても非常に重要だという事を、今改めて痛感しています。